着物の情報をはじめ、
大好きな和の世界、趣味の長唄や歌舞伎、浄瑠璃の事。
思い付いたまま、つれづれにUPして行きます。

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用件のみ
2005/06/05

 6/1 豊中にある伝統藝能館にて「長唄の会」師匠に付いて「越後獅子」を弾かせて頂く。
帰り道、東心斎橋のVISHで一杯。

6/3 新町の厚生年金藝術ホールにて「笑福亭福笑独演会」、終演後、すみよっさんカンヌシに紹介したもらった方々と飲み。
そのあとカンヌシと二人で清水町の若松で一杯。

6/4 西天満のチルコロにて、文楽三味線の鶴澤清志郎さんを囲んで懇親会。音楽ライターの毛利さんと共に楽しい時間。

  


2005/06/01

 古手が流行っています。英語まじりで書くと、リサイクルキモノブームです。
着物もプチブームです。
若い人向けの感度高めの雑誌には、必ず「和」とか「着物」の情報が掲載されてたりします。
ネットの世界の中でも着物を好いてくれてはる若い方のサイトがたくさんあります。
そんなサイトは夜中遅く、飲んで帰って来た時、つれづれに覗いたりします。
偶然たどりついたサイトのリンクのところに、僕の店を載せてもらっているのを発見しました。
なんだかムズかゆかった・・・。
日曜日、若くて綺麗な方がお越しになって、って云うか良く商店街を着物姿で歩かれてるのを見ていたので、そんな事とかあんな事とかおしゃべりしました。
その方が僕の店を載せて下さったサイトの女性のお友達だったそう、何だか嬉しかった。


今ぼく、進むべき道に悩んでます。

手拭を作ってから、そんな最先端の方々も来れれるようになりました、ホンマに有り難いんです。
キモノ業界大変やから、若い人が来て下さると将来が明るいので楽しいのです。
でも正直売るモノがないんですよ。

だからその時もその方に、ウチで買うよりこれはあの店で安いよ、とか、あそこはこんなの持ってるかも知れないよって、商売人にありうべからざる事を口走ってしまいました。
だって、キモノを愛して下さってるんですもん、色んな事知ってもらいたかったし・・・。

今、そんな方達に支持されてるのが、船場の居内さんや四天王寺の古手市。
居内さんはオリジナルの太物や普段着の絹物をお手軽価格で出されています。
天王寺さんの古手は云うまでもなく。
一瞬僕も魔がさして、そんなヤング店を目指そうと躍起になりました、でも室町の大問屋から買って来て売るだけでは、値段もオリジナル性もとうてい太刀打ち出来ません。
『どこを目指せばイイんやろう』
思いあまって居内さんはもちろん、天王寺の古手さん、丼池の仲間さん、百貨店、ネットショップ。たくさんたくさん見学しました。
見れども答えが出ない。


おととい堺まで配達の帰り、堺の旧市街にある「ちくま」って蒸籠蕎麦屋さんに寄って帰りました、しもた屋造りでメニューは蒸し蕎麦だけのお店なんやけど、若い人が結構多い。
あっ!
何かピピッと来た。
良く行く九条の白雪もそうや、あぁなるほど!!
考えがまとまりました、僕はそれで行きます。
何を思いついたか、頭がまとまったかは、上手く書けそうにないので心の中に留めておきます、でも頑張るからね!

  


ちょうど一年前
2005/05/18

 こんな雑記を書きました。


2004/05/18

 ウチの向かいが一日貸店舗で色んなのが来るんです(安い靴、下着、靴下、安い服、バッタモンに贋カバン、時計等)
今おるバッタ屋さんからこんなん出ました(写真)。
『ワンタッチユカタ ¥18,000-を¥1,800-』
何と去年マスコミに鳴り物入りで紹介された「カネボウのワンタッチ浴衣」
元は化粧品屋さんだけの限定販売やったけど、売れないからウチの取り引き先の問屋にも流れてきた、
でも¥18,000-だと、専門店なら国産の本染めのイイのあるし、どう見ても生地も染めも安直やからカネボウブランドとウリの「ワンタッチ」だけの価値でその値段は割高感アリで。
(ウチで一番安いのが¥3,000-(3,150-)の中国製のプリント柄やけど、変わらないでしょ(写真)。)
結果売れず倉庫に在庫の山、バッタ屋さんの元締が倉庫買いして、今ウチの前に残骸として売られています。それも¥1,800-の捨値で。
つらい現実やなぁ・・・・・。
しかしこのおっさん、ガンガン道に商品出しよるんで「出過ぎて人が通れないよ」と注意をしたら、これをコレ見よがしに出して来よった。
営業妨害のつもりなら、アホかと、バカかと、チ○カスかと。
そりゃあこの安さは、これを欲しかった人とか好きな人には超買いなんですけどね、ウチは売ってないし興味もない。
ナウなヤングはストレッチGパンをはかないでしょ、
セレブはフェイクのブランドバック持たないでしょ、ウチは三千円のユカタも高い高いユカタも柄、縫製、柄行き、寸法、徹底的にこだわるし、ココロヤが売るってプライドもある、ココロヤだから買ってくれはるって責任感もある。
倉庫の中にタマタマあった商品と一緒にしないで頂戴!(オスギ風に)


・・・・・

奇しくも一年後の今日、同じバッタ屋はんが、前の日貸し店舗にやってきました。
そして、全く去年と同じ柄のそのユカタが店頭に吊り下げられています。

天下の老舗企業カネボウも今や上場廃止、盛者必衰とはいうものの、こんなけ値下げしても売れんようなもん作る会社、そないなるわ。
ヨレヨレになったこのユカタを見ていると、着物の世界もバカにされたもんやと腹立たしい。
こんなもん一年後にお目にかかるなんて夢にも思わんかった・・・・・。

四月から始まった、ユカタ商戦。
難波の高島屋ではすでに500枚超売ったそうで、今年も浴衣はブームにのり堅調らしいけど、本当やろか?
なら何故これが売れん、一緒やん見た目も生地も、何より、めっちゃ安いのに。

どうも呉服の世界の大きな歪みを感じます。
食い荒らされてる、ひっかきまわされてる、踊らされてる。
近い将来、業界が大変な事になります。


  


前の前の前の雑記。
2005/05/13

 東京へ行ったのは、美大時代からの親友でもあり『タスハナ』のオーナーでもあるベベさんトコへ遊びに行ってたんです。
帰って雑記を書いたんですけど、この人とは不思議な位、以心伝心で、やっぱり似たような内容のブログだったので、転載してみました。


本日は、またまたバースデーパーティー&大学仲間の同窓会。大阪からはtasuhanaと相互リンクでもお馴染みココロヤの若旦那、またこの若旦那が料理の腕前もプロ級で、大学時代によく美味しいご飯を作ってくれました。そしてタイ国で働いている二人も帰国してきていて、苦楽を共にした大学時代の仲間が集合しましたよ。

今日の料理のメインは旬の野菜『たけのこ』
しかも、『京たけのこ』で産地直送です♪
若旦那曰く、この京たけのこは日本一のたけのこだそうです。鶏肉とたけのこを鰹と昆布の薄味だしで頂く、なんとも贅沢な鍋を作ってくれました。こういったお料理を頂くと日本人で良かった〜と心から思います。

さてさて、たけのこを煮るのにたっぷり時間をかけ、やっと鍋を頂きました。鰹ぶしを一袋全部使っただし汁はなんともやさしく、たけのこは歯触り良く風味豊かだし小松菜も味がしみているわー鶏肉もコクがあって、なんとも素晴らしかったです。

若旦那が作ってくれた料理は、やはり主婦が毎日料理を作る感覚とちょっと違います。丁寧で素材に対してやさしいというか、もちろん日常ではこんなに丁寧には出来ないけど、でも改めて自分の料理工程の省きまくり&料理に対する姿勢など反省。。。手間ひまかけて想いを込めて作ったものは、その通りに反映されますね。それは、料理にかぎった事では無い。

日本一のたけのこと大事な古き友人は、もの作りに対するそんな気持ちも改めて教えてくれました。(新聞の投稿みたいな締めくくり♪)


十年経っても、何年ぶりに会っても、こうやって今まで通りに会えたのが嬉しかった。
「経済活動」が生きる事の最重要課題だとすれば、僕達は明らかに負け犬です。
でも、バカだと云われようが、世間知らずだと云われようが、自分に正直に、たまにはくじけて、たまにはイイ事あって、いろいろあるけどしっかり前向いて笑ってられる、そんなみんなが大好きです。
心から笑える友達に会えて良かった、パワーをたくさんもらったので、また頑張らなきゃ。

  


郷愁その二
2005/05/12

 次は、三越が無くなりました。
江戸時代には御堂筋がなくて、堺筋が大阪のメインストリートだったのを、その筋と、西国街道の起点である高麗橋の通りの交差する角という、いわゆるその当時の一等地に店を構えて三百六十年、今は商業の中心が御堂筋沿いや、キタとミナミになっているから移転するのは経営上しょうがない事だけれど、今の呉服屋の基礎を作ってくれた象徴的な存在でもあり、寂しいです。

東京の三越本店は日本橋、今も伝統と格式に支えられています。
これとて「東海道五十三次」の第一番目にあるように、都市の要に建っています。両方、橋のそばにあるのは、川が今で云う大通り(物流のメインストリート)の役割を果たしていた頃の利便上必要に迫られての事なのでしょう。

大阪は八百八橋と云われる程、運河と橋が多い街ですが、数桁の公儀橋(官製の橋)を除き、その殆どが町人が自費で作った橋で、大阪人の権力におもねらない反骨と自主独立の姿が垣間見えます。
「高麗橋」は官製の橋で太閤秀吉の頃からの由緒ある橋ですが、橋の格式は同じでも、江戸は日本橋、大坂は高麗橋と云うところが、対照的な何かを暗示しているような気がしてなりません。

大阪人の新しいモノ好きの感覚が、江戸の「日本橋」って云う保守本流のダイレクトな名前に対し、『高麗』といういかにも安直に異国情緒を匂わせる響き、例えば今で云えば「アメリカ村」とか「ヨーロッパ村」って云うお洒落なんだか分かりやすいんだかわからないような直接的なネーミングに気持ちが繋がってるような気がします。

ここまで書いてオチが無い事に気付きました、飲みながら思いついたモノで・・・・・。

跡地にはマンションが建つそうです。
聖地だとは云わないけれど、大阪のシンボリックな地の一つであるわけで、その変わり身の早さが嫌です。
これも、同じく三百年以上の歴史がある中座はアミューズメントパークに、浪花座はパチンコ屋になりました。
南地大和屋は何になるんでしょう、スナックビルにでもなるんでしょうか。

ここ数年の大阪の変化は世界大戦の破壊に匹敵するような気がします。
リセットして生まれ変わるのは素晴らしい事です、古き良き物を無くしても、新しくて良い物が出れば循環が良くなるので大賛成。
でも、なぁなぁで目先の利益だけを追うような事をしていれば、大阪の地盤沈下は止まらずに、不景気の悪循環に落ち続けて行くような気がして怖い。

僕のような、場末の小商人でも大阪人の誇りを持って、何かを生み出したい。
大好きな大阪が、無味無臭の街になるのは耐えられません。

  


郷愁その一
2005/05/06

 南地大和屋がなくなりました。
南地大和屋って云うのは、大阪はミナミの宗右衛門町(ソエモンチョって発音するのが大阪風)ってトコにある大きな大きな料亭で、いわゆる「お茶屋遊び」が出来る、京都とは違う大阪の旦那衆文化が残る唯一といっていい程の場所で、ヘラヘラ踊りなんていうの聞いた事ありません?芸妓さんが三点倒立するんですけどね。

要はキャバクラとかが増えて、キャッチの兄ちゃんだらけになって、様子がガラリと変わり・・・と云う事らしいです。
僕もいつかは行ってみたかったけれど、それも叶いません。
大阪のイイものがまた一つ消えました。
別にね消えてもイイんですよ、一つ消えたら、新しくてイイものが一つ増えればイイんです、大和屋だってそんなに歴史があるわけではないですし。
大和屋も当時は新しい事をして、結果大阪に大きな足跡を残したように、循環するのは素晴らしい、でもそこにキャバクラが増えるだけなら寂しいですよね。

大阪は昔から新奇な物を求め、古いものにはこだわらない傾向が強い、良い悪いは別にして、根っからの商売人の街なんでしょう、現実的で直接的なトコとか、リアルなものが好きなトコとか。
市内には緑が異常に少ないのも「あんなモン、金儲けのタシにならへんがな」だそうで。
古いモノは京のヤツらに任しとけ、みたいなノリなんでしょうか。
東京、名古屋、京都...それぞれの街が特色を持って頑張ってはる中、大阪はどこに向かって行ったらいいんでしょう?

建築家の安藤忠雄さんが大川沿いに桜の道を!っていう呼び掛けをしてはりますけど、これなんか今までだと「そんなモン、金儲けのタシにならへんがな、実ぃのなる木ぃでも植えとけ」でしょうけど、そうならないのは、大阪人も変わってきたって事なんでしょうけれど。

今までの大阪流のやりかたじゃ、どうも駄目になってきてるような気がします。
日本一、世界一の大阪が特色のある大阪であり続ける為に、どうしてゆけばいいのでしょう。

  


ハッピー
2005/04/30

 久しぶりに東京。
良い天気で気持ち良かった。
友達ん家で鍋を囲んだり、散歩行ったり、ネコとじゃれたり、たっぷりな二日間。
大学を卒業して10年経つのに、その東京のツレん家に、バンコックやら大阪くんだりから集まって、何も変わらず当たり前のように過ごせたのが、嬉しかったし楽しかった。
いっぱい笑顔、いっぱい笑う。

また大阪で頑張ろう。

昨日は結婚式の二次会。
大きな大きなパーティーで、FM802のDJの司会で、超有名アーティストのライブとか、絵描きさんとかたくさんたくさん。
何より二人がとてもとても幸せそうだったのが感動。

天気のイイ日に散歩する幸せ、大事な人と美味しい物を食べる幸せ、結婚式の幸せなのを見る幸せ、そして好きなキモノのそばにいる幸せ、てぬぐいの幸せ。

  


春はあけぼの
2005/04/21

 前回の雑記から、丸一か月経ってしまいました。。。
最近時間の流れが速く感じてしょうがありません。
このヒトツキで印象に残ってる事といえば。

大好きな桜が咲いたので二回花見に行った事、地元の住吉公園で住吉っさんの神職連と商店街の青年部で合同でしたのと、桜ノ宮の銀橋のネキで友達ばかりでしたのと。
花を見ながらの酒は、楽しくて、悲しくて、旨い。
たくさん飲んで、酔いました。
一度でイイから、赤い毛繊に塗りの盃で三味線弾きながらしっぽり花見をしてみたい、来年出来ればイイな。
公園ではもう藤が咲いてますね。
長唄の「藤娘」の歌詞に『いとしと書いて藤の花』って云うのがあります、行書の連綿体(いわゆる続け文字)で『いとし』って書いたフォルムと藤の花のフォルムが似てるって事なんでしょうけど、昔の人は上手く言ったもんです。

手拭の新しいのが三作出来ました、コレをベースに店をもり立てて行かねばなりません、幸せな事に顔の広い友人が、今日はあそこへ明日はあそこへと色々連れ出してくれます、眩しいくらい立派な人達や、芸人さんを向こうに回して名刺や手拭を配ってます。
すぐに効果はでませんが、そういう出会いがあるのは有り難い、内気なので社交は正直疲れるけれど、ワクワクしています。

気候が良くなったので、着物が暑くなって来ました、サムエは楽なのですが、帯をキュッと絞めた時の気合いが無い分、物足りません。
昨日も今日も九条のいつもの酒場に行きましたが、今日はさておき昨日は入り口を開けっ放しにしてあって、イイ風が入って来るのが気持ち良く、つくづくイイ季節やと思いました。
でもどの季節も甲乙付けがたいですね、寒い時は食い物が旨いから好きだし、これからはどんどん薄着になって、薄物をさりげなく着るオシャレはイイものですけど、なんせ暑いですからね、寒いのは嫌だけれど、そういう意味ではやっぱり秋冬のオシャレは格別。
四季折々に楽しみが尽きません。

今日の九条は、三つ隣にガテン系の兄ちゃんが一人でいて、ビールと酒とアテ数種をワシャワシャって飲み食いしてサクッって帰ってったのが格好良かった。
自分の両隣にウンチク垂れがいて、カマスゴ(関東でいうコオナゴ)があったのを、「もう時期は少し遅いから、大きくなっちゃったね」とか、タコがなかったのを「今、モロッコ産のが高騰してるからね」とか云ってたのと対照的。
あんな店では、難しい事云わないで、旨い旨いって喰って飲んで酔えばイイと思うねやけど・・・どうかな。
難しい事は難しい店で云うたらエエねん。

最近この手の毒舌風を控えめにしてました。
今、我が心の師、司馬遼太郎さんの若い頃からのエッセイ集を読んでるんですけど、結構辛辣なんでびっくりしてます、晩年の熟成された文体とは違う荒々しさがあるんですよ。
だから書きますって結論にはならないけれど、そういう時期があればこその偉大な生涯やったと思うと、まだ僕の齢で丸く丸く納めようなんてチャンチャラ可笑しいなと、ちょっと思ってみた次第。

以上徒然なるままに、一月ぶりのご無沙汰をお詫びしまして。

  


今日は何の日
2005/03/20

 前にも書いたと思うんやけど、ムサビの工デ(武蔵野美術大学、工芸工業デザイン学科の略です)って一か月に一課題をこなす。
例えば「椅子をデザインしろ」って云われたら、週一か週二に教授にプレゼンしながら、最終プレゼンに向けて煮詰めて行く。
形にしなきゃなんないから、こだわり出すとキリがなくて、気分が乗った時には朝から晩まで作業室や研究室に籠ってる事もしばしば、むろんそんな真面目な学生だったわけじゃないから、半分以上はみんなとクッチャベッてた(しゃべってた)一緒にいる時間が長いし、アートってか、手を動かす事が好きな奴ばかりがソコにいるわけやから、似てるってか、共感の度合いが深いというか、友情が深くなるというか・・・・・。

今から考えると、頭ン中の記憶をンガーッって感じで消去したい事や、恥ずかしい事もたくさんあるけど、キラキラ輝く夢のような出来事もたくさん。

朝まで飲んで、外に出たら雪が積もってた。
まだ誰も踏んでない真っ白な雪の砂浜をサクサク踏みたい一心で、そのまま二時間かけて江ノ島へ。

真夏の夜、人の途切れたアスファルトの道路のまん中で、寝そべりながらおしゃべり。
アホな事もしたし、キューンてなる事もあったし。
いっぱいイ〜パイ笑いましたねぇ。

そして十年前の今日、卒業式。
「終わったなぁ」しみじみつぶやいた、何とも云えん寂しい気持ち。
あれから丸十年経ちました、まだまだ若造、人生これからやけど、それでも色々あったような、なかったような・・・しかし早いなぁ。
学生時代の四年間と、それからの十年間。
2.5倍の時が経ったけど、きっと四年間の方がたくさん笑ってる。
2.5倍の時が経ったんなら、四年間の3倍は笑わないと。
僕も笑う、お客さんも笑う、みんな笑う。

そしてその日は、地下鉄サリンの日。
新宿のホテルで謝恩会があるのを、「都心では恐ろしい毒ガスが蔓延してるから、気を付けて」って、非常放送が流れた。
結局新宿は、いつものままの新宿やったけど、警官が異常に多かったのと、その日から駅にゴミ箱が消えたのとが印象的。

そんなこんなで、毎年この日が来ると思い出すんです。
せやし、忘れたらアカンとも思うんです。

  


エゲレス
2005/03/10

 本当ならば、今日いもうとが一年半の英国留学を終え帰国の予定を、昨日空港でのチェックインの際、大量の荷物が引っ掛かって(一年半分の生活物資全部もって帰ろうとしたらしい、アホや)右往左往してる内に飛行機に乗り遅れ、泣きながら電話してきた。
幸い、友人の家に泊まれるし、今日の飛行機で明日着くらしいから、どって事ないけど、あんな頼りないので、英国では身寄りも何もないのに、良く無事で一年半過ごせたなと、運の良さに感心しきり。

記念に、僕が英国旅行から帰国後友人に送った道中記のメールを、ツレ用なのでかなりストレートな表現の部分があったのを、そこは雑記用に優しく加筆修正して、載せます。


楽しかったよ。
結局、長期休暇が、心身のリフレッシュ。
それが別にエゲレスでも有馬でも良かったんやろうけどね。
それでも、滅多にない事やから、心にのこる旅。

都合九日間おって、三日間は、チェコ国のプラーハってとこ行って観光、西洋文物を鑑賞、魔女の宅急便みたいなトコ。
毛皮の筒みたいな帽子かぶってさ、顔色が真っ白で濃い、絵に描いたロシア人みたいな人が多いねん、言葉もブツブツ云うような音の低いやつでさ。
男も女も透き通るようで綺麗な人おったなぁ、顔は華やかやのに、内向的で温和な雰囲気が印象的。

行き当たりばったりでホステルにとまってね、良さげなとこ探してアタック、みんな親切で、満室でも親切に他のイイ所教えてくれたり、親身になって探してくれたりして感激。雪景色やし、歩いてると、ミネラル水がキンキンに冷える位の寒さやから野宿は出来ひんしなぁ。

1日目はホテル風のデザイナーチックなトコ、二日目は掃除の行き届いた古くて味のある西洋屋敷。ここは厨房とリビングが開放されてたから晩飯はスーパーで食材買って作って喰ったよ、アメリカやらドイツの旅行者とジェスチャー交じりでしゃべりながらの楽しいひととき、ワシ、半分以上、いや殆ど日本語やねんけど、不思議にも通じるネンこれが。
しかし一泊3000円やで、満足したなぁ。
観光場所でも、旅館でも全然おらんねん日本人、やっぱりオフシーズンやから?。
日本人では、リュックサック旅行してるって20代前半の女の子が一人おったな、日本人と会うのが久しぶりやったみたいで、ずっと寂しかったんやって、それにかなり心細かったらしくて、すごい勢いで喋ってた。
あとは、お父さんが日本人で、お母さんが中国人で、アメリカに住んでる20代前半の男性。
この人は日本語カタコト、自称英語もカタコトらしい(発音の善し悪しなんかわからない)これが大西(友人です)にそっくりでビックリ。

昼はそこの管理人さんに、地元の人が行くご飯屋さん教えてもらって、行ったよ。
地元臭抜群!黄色人種が珍しいんかして(粉浜の地元店に観光の白人が入ってきたような感じなんやろうね)ジロジロ視線ビームがあっちこっち。
鳴呼、外国来てんねんなぁとしみじみ。
ランチプレートみたいなんで、豚、牛、チキン、肉煮込みが選べるんやけど、200グラム以上ある肉の横手に芋やら温野菜やら、ぬくいキャベツの西洋漬みたいなんがてんこもり。
隣席は5.60代のオバチャン達、後から来たのに僕らよりずっと早くそれをペロリとたいらげる。
自分らはノツノツしもって、結局3分の1残す。
見てるとな、殆ど噛まずに飲み込んでるネン、日本人は米食いやから、よっく噛む習慣がついてるんかな?、何せカミカミしてたらすぐ腹一杯や。
ビール飲んで、二人で800円!安い!腹パンパン!。
旅館への帰りしな、ちっちゃな本屋さん入って、絵本買った。何かいてるかはわからん、変なアルファベットやし、でも肉感的で妙にリアルな絵が可愛いねん。
夜中は鼻息が真っ白白になるくらいの中、ふらりと散歩。途中パブに寄り道、お腹一杯やから、軽いアテを下さいって云ったら、野菜の冷たくて酸っぱくて美味しいのくれた、全部で300円これも安い!。

一回だけ、観光マップに乗ってた有名店に行ったんよ、日本語のメニューのあるようなトコ。
俗っぽくて高いし(ビールと食いもん2皿で二人で6000円)嫌。
お土産屋さんも高いのはもちろん、青い目の人に日本語で「いらっしゃい」云われると、何だか恥ずかしい。
ロシア土産の、こけしの中から子こけし、孫こけしが出て来るアレ(マトローシカ?)を勧めたりもされて、何だかホントに恥ずかしかったよ・・・・・。
日本人=金。
ちなみに、そういうトコは英語や少々の日本語は通じる、普通のトコは通じない、通じないトコの方が好き。

地下鉄には乗らないで、チンチン電車ばっかし乗ってた、景色を見れるのが素敵、トンネルじゃあ味気ないもんね。今どこ走ってるか地図見ながら確認するねん、人間ナビゲーター。街の構造がわかるとその街を征服したみたいな気持ちになれへん?楽しくない?。時間はかかるけど、急いだってしょうないやん、一回間違えて反対方向、あきらかに寂れた住宅街。
それはそれで楽しい、ひたすら考えずにズンズン歩く、観光地よりそっちの方が観光。
電停前の一間間口の売店でソーセージとぬくいワイン買ってパクパク食いながら、チン電来るの待ってんの、隣の知らない人に無茶苦茶な英語で適当に愛想すると、ちゃんと答えてくれるのがワクワク。

EU同士なら、格安航空券で往復一万あれば、大抵の国に行けるんやてな、イイねぇ。

エゲレスではめんどうなので、観光ナシ。
でも、暇つぶしに、国会議事堂と教会はちょこっと見た、議事堂前で行列が出来てたので並んでる人に尋ねたら「議会の傍聴や」云うから並んで入った、ブレアさんはおらんかった、見たかったなぁ。
モーツアルトみたいな白い毛のカツラかぶってる人はおった、あんなん初めて生で見た、相撲取りの髷みたいなモン?芸者の島田マゲみたいなモンなんかなぁ。
帰り道、小腹が空いたので川端の屋台のクレープ屋さんで一番安いのを(皮に砂糖ふりかけてレモン絞っただけのやつね)一個頼んで妹と半分ずっこした、一個500円もした。
物価高いよ、エゲレス。

大阪からエゲレスまでは日航で悟空って早割で往復85000円、今なら既に十万越えてる、いっちゃん安い時期やったみたい。
飛行機ガランガラン、肘掛上げて、席三つ取って寝転んでたら楽チンプー。
静かな機内、観光客も全然おらんし、優雅な旅。

ほぼ毎日、マユミ(妹)の友達のイタリア人のルチアやらスペイン人のララやらポーランド人のラディックやらコロンビア人のパッチョとパブたら行ったりしておしゃべり。
俺の名前のカツノリが云いにくいらしくて、カツとか、オニーチャンって云うてたけど、イタリーではカッツォってチン○の事らしくって、あんましその名で呼んでくれへんねや。
そらそやな、チンポコさんって名前の人が日本きたら、呼びにくいわなぁ。
やっぱり、兄妹顔かなり似てるねって云われた、西洋人でも見る目は一緒。

マユミが良く晩ご飯ごちそうになってる、銀行マンアベックに、お礼しようと日本から、
一粒150円のイチゴ10コ入り(デカくて、形が揃ってて、嘘みたいに甘いやつ)、すぐき、べったら、赤味噌、白味噌、味噌汁用に程よく混ぜたの、椎茸、しめじ、近所の割烹の兄ちゃん特製の若狭カレイの一夜干し。
それに菊正宗の上等で、薩摩焼の四合瓶に入ったやつ。
抹茶、茶筅、茶碗。
干菓子。
そんなもんを持ってって、向こうの甘い顔した男前のエゲレス人ジョナサンとイケマホ(友人)似の眼ぇパッチリイタリー人アレッサンドラっちゅう、美男美女アベックの住まいにお邪魔して料理。
かやくごはん
豆腐のみそしる
若狭カレイの焼いたん(オーブンか焼くあみか何かあるよね)
かしわの照焼き
つけもの
ももいちご
干菓子
抹茶

美味しい云うてくれたけど、喜んでもろたやろかなぁ。

着物着てたんやけどね、道行く人にはどうやら着物の形状からスカートに見えるらしくて、怪訝な顔をしてる人もいた、それでも違和感なかったんは、エゲレスの壊の深いトコなんやろうね。
逆に現地系日本人らしき人らの方が、ビックリした顔してたわ。
そんな珍しい格好してるもんやから、向こうからの質問は、ハラキリだのゲイシャだのになったのだけれど、正しい日本文化の姿を話したつもり、誤解は解けたかな、草の根運動。

ちょっとの間やったけど、現地人のような生活を出来たのが良い経験。
帰って来るのが嫌やったもん、こんなワシでも日本のシガラミにはストレスを感じてるねんな。

しかし物価は高いし、メシはまずいし。かなんかなん。
魚のフライに、馬鈴しょの揚げたやつ。
それに芋の裏ごしの温かいやつにソーセージのっけたの。嫌嫌。

エゲレス料理は第一印象がまずかった(入った店が悪かったんやと思う)ので、晩ご飯はウチでパスタ作るか、タイごはんか、中華。
店でコープンカー云うたり、謝謝云うたりしたら、その瞬間、勢い良くタイ語やら北京語で喋りかけられた。
きっとタイ人にも見えるし、中国人にも見えたんでしょう、僕たちの顔。
大西云うてたもんな(友人、こやつは現在バンコックにいます)お前やマユミみたいなんが一杯おるって。

ロイヤルチャイナって中華料理屋の従業員さん、ちょこっと話し掛けたら、はまったらしく、ウチのテーブルばっかり来て、話し込むねん(お互いカタコト英語に筆談)。
新聞やテレビで大きく取り上げられる、日の丸焼いたりする中国人には腹が立つけど、そうして話してるとそんな事全く関係ないね、当たり前やけど。ホンマみんな、フレンドリー。

スシ、てんぷらなんかの日本食はショボいなー、高いし。もっとまともな板前はんが行かないと、日本料理の印象は良くならんのちゃう?、内装も最悪やし。むろん上等の店には近寄ってないからイイ店もあるんやろうけど。

時間に追われる観光もしんどいから、公園で白鳥にポテチやったりリス探したり、同じアパートのパッチョと話し込んだり、ウチで子供番組みてる内に帰国日。

イタリア人のリカルドとは最初は嫌で出来なかった、ほっぺたとほっぺたをくっつけるイタリー式挨拶も出来たし、
帰り際パディントン駅まで行くバスに乗る瞬間、これも同じアパートのラディックの出勤途中に偶然あって「お兄ちゃん楽しかったか?会えて良かったわ、日本まで気ぃ付けて帰るんやで(大阪弁ちゃうけど)」って云ってくれたんが、すごい嬉しかったから思くそ握手したら、その人は神経質な人で、勤務先では怖がられてるらしいんやけど、両手握手と満面の笑みで返してくれた、感激。

楽しい楽しい日々。
マユミと別れ際、こいつ、よう頑張ってるなぁと感心したら、ちょっと嬉しくなった。反面、自分だけ帰るのと、一人でアパートへ帰ってく妹の小さい背中見てたら何かキューンてなった、お父さんもあの世で喜んで見てるかな。
離陸した時涙出た。

  


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