着物の情報をはじめ、
大好きな和の世界、趣味の長唄や歌舞伎、浄瑠璃の事。
思い付いたまま、つれづれにUPして行きます。

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大阪締め
2005/07/26

 打ちまぁしょっ ヨイヨイ(手を打つ) もひとつせ ヨイヨイ(手を打つ) 祝ぉてひとつ ヨョイのヨイ(手を打つ)
これが大阪での正しい手打ちの仕方。
一般的な、ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨイは関東式の手打ちです。
江戸式の手打ちはテンポも良くスッキリしてるけれど。
上方のなんどりした雰囲気にはやっぱりまったりした大阪締めが合っているように思います。

川面にギッチリと浮かぶ赤い灯青い灯の渡御の船船、ジキチンジキチンの熱い熱い天神囃子が鳴り響く中、船が行き交う毎の大阪締め。
大阪の栄光が詰まっていて、大好きな風景の一つです。

今年の天神さんは、月曜だったせいか去年より人出もまばらだったような気がします、だから花火も船もゆっくり見れました。

毎年恒例のゆかたリサーチ。
やっぱり今年もマスコミが騒ぐ程には・・・って感じでしたねぇ。

  


商店街へいらっしゃい
2005/07/13

 朝も、そのワンワンの話で持ち切り。
商店街の美容室の娘さんが連れて帰ったそう、ホッとしたよぅ。
シーズーもホッとしたやろな。
飼い主さん探してるかな、ココにいますよ!
大阪中の迷い犬さん、困ったら商店街へいらっしゃい。
そういえばコロッケ上げてる人がいた、食べてなかったけど、コロッケにはタマネギが入っているのでいけません、犬には毒になります。
同じフライを上げるなら、メンチカツかビフカツ、トンカツにしましょう。
エビフライも腰が抜けるからいけません。

  


迷い犬が
2005/07/12

 それこそ絵に描いたような負け犬の姿で、今日の朝の雨に濡れて、気力も体力の尽き果てて佇んでた。
シーズー。
商店街歩いてるたくさんの人、一人ひとりの顔見てご主人さまを探してる、きっと不安で寂しくて怖くてしょうがないん。
いろんな店の人たちが、かばって、ゴハン上げたりしてたけど、食べない。
それどころじゃないんやわ。

こないだ亡くなったウチのシー君とダブるので、胸が痛む。
外回りから帰ってきて、まだいたら、ウチに住んでもらおうって決めた、誰が何と云っても決めたのです。
でももういなかった、また旅に出たん?それともイイ人に出合ったんかな。

今なにしてるんやろ、オカンも「あの子どこ行ったんやろね」って心配してた。
どうか何にもありませんように・・・。

  


松竹座へ
2005/07/10

 歌舞伎見に行ってきました。
十八代目中村勘三郎襲名披露興行。
昼夜通しで一部一等席¥21000-合計¥42000-あ痛たたた。
東京の歌舞伎座と同じ値段、これが東京なら、綺羅星の如く人間国宝、大幹部、若手花形が揃って、普段見れない豪華配役に、大役者が脇役にまわったりするようなご馳走が見れるのだけれど、大阪では年に二回しか大歌舞伎がかからないので、数少ない興行では、幹部それぞれが出し物をしないと次がないから東京のような粋な配役はもちろんなく、どうしても大阪役者優先で、結局松島屋に成駒屋の上方勢と勘三郎一座という寂しいメンバーに。
出演、配役、演目およそ襲名興行らしからぬ地味さ、おめでたい事には違いないけれど、割高感大アリでちょっと不満でした。
暑い盛りに、正月ネタの曽我対面もどうか、ガンジロはんは大阪の顔やけど、勘三郎さんとの共演はなくて、鴈治郎五変化って云うもたれる一幕だけ、せめて沼津のお米くらいやって欲しい。
大入り満員で松竹さんは嬉しいやろうけど、こんなことしてたら、いつかダメになるんじゃないかと思う。
配役、演目に苦労のあとがミエミエ、役者の世界も大変なんやろうけどさ。

沼津はいつ見ても泣けてしょうがない、仁左衛門さん大好きなので満腹。
宮島のだんまりは、華やかで素敵、秀太郎さんがコレ一役ってのがちょと嫌、秀太郎さんも大好きやからもっと見たい。
芝翫さん顔がデカクて長い、浮世絵が動いてるみたいで何ともイイわぁ。
出色は野田版研辰の討たれ、舞台も綺麗やし、ストーリーも面白いし、やっぱり歌舞伎役者って、脇役に至るまで修行が行き届いてるから、髷のある芝居やらしたら誰も叶わないと思った。
長いセリフ、派手な動き、普段とは正反対の演出だけれど、役者ハンらはゴッホやピカソと一緒で基本がしっかり出来てるから、どんなケッタイな動きにでも美しく対応できるんやなぁと、感心した。
新しい和の演出が勉強になったし、インスピレーションも得れた、通の人には不評らしいけど、これは一つの方向性。
和にかかわる一人として、新しいアプローチは常に意識するけれど、こう来たかという奔放さに、久しぶりにドキドキした、全然アリ、てかこれじゃなきゃ。
切れのいい役者ハンの演技を見るに付け、やっぱり基本をしっかりと身に付けねばと思い新たに、基本の出来てない人がこの狂言をかけたとしても、ただの雑多な三文芝居にしかならないでしょう、着物の世界もしかり、ケレンをするには基本ないとね。
身上潰さん程度なら、道楽もタマには役に立ちまんな。

  


京あそび
2005/07/06

 京は四条の南座で人形浄瑠璃が掛かったので、行ってきました。
7月に入ったので夏の着物に袖を通しました。
茄子紺の紋紗の着付に銀鼠の夏博多、パナマの夏草履。
あいにくの雨模様だったので、道中は爪革の利休下駄に黒の男和傘。
どっからみても、芸人さん風に見えたに違いありません、そういう方たちのそんな格好をしてみたいという憧れもあるので、それはそれで嬉しいのですけれど・・・。

僕は商人です、呉服屋でもありますから、内輪に着、かつお客さまを引き立て、さりげないこだわりを感じさせなければならない。
素人が玄人衆の真似をして、芸も持っていないのに、外側だけ似せたってしょうがない、あきんどはあきんどらしく、と教えられました。
芸人さんは華を見せるのがお商売ですし、きららかになされて当然です、たしかに僕は実際そうやないんですからね。

「粋過ぎは行き過ぎて帰りがおまへん」とは昔の大阪庶民の常套句、分不相応な格好は、かえって野暮天になると云う事を、大阪言葉のエスプリで、やんわりとたしなめているのです。
ココロヤでも先祖代々、言い習わしています。
ですが、なにせ当方嬉しがり(お調子者という風な上方言葉です)なモンですから、またやり過ぎてしまいました。
僕のような若造は、何気ない着こなしや小物使いが好もしいのは間違いありません、背伸びをして、ディティールに凝り過ぎると、いわゆる雑誌から抜け出たようなコテコテ野郎か仮装行列(現代語で云うとコスプレ)になるのが関の山。
無理をした格好は、芸妓衆にも、嫌われるとか聞いたこともあります。
要は等身大で自然体なのが一番なのでしょう。
わかってて何ですんねん、って話ですが、やっぱり役者ハンや芸人さんのような、遊び心のある洒落た雰囲気の着方にはあこがれるし・・・「野暮もこなれて粋になる」ですやん、まぁ通過儀礼のようなモノだと、自分を慰めています。

演目は昼の部が『夏祭浪華鑑』夜の部が『冥土の飛脚』
正午から夜の八時まで、多少の休憩はありますが、楽しかったけど真剣勝負、終わった時はグッタリ疲れました。
『夏祭浪華鑑』は今度襲名した、歌舞伎の勘九郎の勘三郎が惚れて再演を重ねている、大阪の侠客の生きざまと大阪の夏祭を絡ませて描いた賑やかなストーリー。
『冥土の飛脚』は近松の心中物の一つで、惚れた遊女の身請けのために公金横領してしまう商家の養子若旦那の話。
歌舞伎と人形浄瑠璃は演目が同じ物が多く(人形浄瑠璃に書き下ろされたものを歌舞伎が転用しています)見比べるのも面白いですよ。

同じ話でも、人形浄瑠璃は、ストーリ展開のテンポの良さと、人間を掘り下げて描ける長所があるのに対し、歌舞伎の場合は役者の色気も大事な要素になりますし、魅せる場面がちりばめられている分、ストーリー性が薄まってしまう事も多いので、微妙に肌合いが違ってきます。

例えば『夏祭浪華鑑』なら、人形浄瑠璃の場合、いかにも今もいそうな大阪のヤンキー連中を彷佛とさせるのに対し、歌舞伎の場合、格好イイ男前として描かれます。
どちらも面白いのですが、僕はズシンと人間の業を感じさせる人形浄瑠璃の方が好きです。
ま、楽しけりゃなんでもイイんですけどね。
『夏祭浪華鑑』は変わらぬ大阪の夏が描かれています。
「だんじり囃子」がBGMに使われるのですが、こればっかりはいつ聴いても胸がワクワク。
大阪人の血が騒ぐとでもいいましょうか。

外へ出るとどこからともなく祇園囃子、おっとりと涼し気で綺麗ですが、僕の耳には「だんじり囃子」が心地良いです。

昼は芝居横の「松葉」でニシンの棒煮と蕎麦をアテに冷酒で一杯。
夜は先斗町の「ひめごぜん」で鱧の落としとおばんざいで一杯二杯三杯四杯。
また、仕事さぼって遊んでしまいました。
貧乏人のボンボン(昔ながらの大阪言葉、何と直接的で辛辣なんでしょう)よどこへ行く。

  


無題
2005/06/23

 ボケてはるお年寄りに¥12000000-分の着物を売り付けた業者がおるらしい。
あきれてコメントのしようがない。
文化の冒涜。恥を知るべきや。

  


だそうな
2005/06/21

 世界で最も生活費が高い都市は昨年に続き東京で、2位は大阪−。米調査会社マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングが20日発表した世界144都市の生活費ランキングで、日本の2都市が上位を独占した。

妹がロンドンに一年半。
ロンドンはこれの3位に入っているそうだけれど、生活費の高さにつくづく辟易してた。
僕も一週間だけれど滞在して、観光なんぞはしなくて、ひたすら当地のリアルな生活をしたかったので、スーパーに云って買い物して、妹の住まいで自炊をしたけれども、モノが悪くて高い。
電車賃も高ければ、ちょっとしたTシャツなんかでもとても高かった。
途中チェコのプラーハに飛んだ時は、欧州内なら航空運賃がとても安かった事が良かったのと、プラーハの物価水準はとても低くて嬉しかったのが思い出だけれど、ロンドンにいた限り、感覚的に東京や大阪より、むしろ高い気がした。

何が基準になっているのかわからないけれど、こういう比較データを始終色んな情報源でお目にかかるのを見るにつけ、つくづく日本人は諸外国、特に欧米との比較にいまだに敏感なんやなぁと、そのけなげさに涙の出る思いがします。
生き馬の目を抜くようなシビアな国際関係の中、小動物のようにビクビクしながら常に他国の目を気にする日本人。

この国には良いモノがたくさんあります。
もっと胸を張って進まなきゃ。

  


ありがとう
2005/06/15

 ペットのシーズ犬、名前はシーで、呼び名はシー君とかシーちゃん。
平成3年1月14日生まれ、平成7年1月17日の阪神大震災で被災。
元の飼い主のウチが壊れて、飼う事が出来なくなってしまったので、お客さんの紹介で当家に仲間入り。
それから丸十年と五か月。
今日の朝8時50分、天国へ旅立ちました。
亨年15歳の大往生。

おとといまでは元気やったのに、昨日からゴハンを食べなくなって、持病の心臓疾患が悪化、最期の夜はさすがに苦しそうやった、普段はバラバラやけれど、家族みんながくっついてシーを囲んで寝ずの看病、ずーっとナデナデしてあげてた。
お母さんの手ってこんなシワくちゃやったんやって毎日一緒におるのに、あらためて気付いたりした。

朝の開店前に死んじゃうトコロが流石商売人のペット、必ず店の目立たない所に座って、お客さんが来ると愛想してたし、自分でも働いてるつもりやったから、責任感があったんかな?

呉服屋らしく、犬用の紋付袴を着せて出棺。
楽しい事も悲しい事もいつでも一緒のシーでした。
四年前、父が亡くなった時には、そばから離れなかった。
きっと今頃二人でじゃれ合ってる事でしょう。

いっぱいいっぱいありがとう、さようなら。

  


おしゃれ雑感
2005/06/12

 スーツ持ってません。
だから、着なきゃならないあらたまった席では着物で行きます。
呉服屋ですから。
スーツは嫌いじゃないけれど、やっぱり着るなら呉服屋もファッション界のハシクレですから、恥ずかしくないようなピシッとしたのを着たい、でも一年に一度か二度しか着ないので、スーツってラインが微妙に変わったりするじゃないですか、勿体ないので買えません。
言わば「着物なんて一年に一回着るかどうかやのに買うの勿体ないよ」ってお客さんから良く聞く言葉の逆バージョンなのですが、余談ですけど、キモノは柄もラインも変わらないので買って下さいね。

普段は着物です。
呉服屋さんの中でも男性は仕事中にスーツを着てる方が多いですが、キモノを語るのに説得力がないような気がするんですよ。
ビフテキばっか食べてる人に魚のウンチクは似合わないでしょ?
着て着て着倒しても深い世界ですもん、それに今は本当に目の肥えたお客様が多いから、ウカウカすると抜かされちゃう。

例えば着物の世界ではお洒落をする際に「分をわきまえる」と云う考え方があります、いわば封建社会の名残りですが、要は商人は商人らしく、大工は大工らしく、役者は役者らしくと云うことで、戦前まではかなり徹底していたらしく、格好を見れば、その人の職業が大よそわかったそうです。
卑屈な身分の上下と云う事ではなく、自らの立場や職に対する矜持と云うかプライドも今よりずっと強かったんですね。
戦後は色んな意味でヒトイロになり、境目が少なくなくなりましたが、ファッションと云うかお洒落を構成する一要素として、そんな保守的な考え方もあって面白いと思うんですよ、現にフランスやイタリアではそうだと聞いた事があります。

そう云う意味では、お大臣や、お役人がラフなスタイルで出仕したはりますけど、僕は何だか違和感感じます。
冷房を減らして質素倹約(今風に云うとエコロジーでっか?)は賛成、でもゴルフ場で風呂あがりビール一杯みたいな格好はどうも・・・。
ネクタイさえしてればええんやみたいなノリも嫌ですが、もっとやりようがあると思うんですよね、お大臣やお役人は世界の人の目に晒されるわけですから。
キモノでも着てくれへんかなぁ。

本町から心斎橋筋を下って難波まで歩くのが、リサーチの時のお決まりコースの一つ、通りには呉服屋も多く頑張ってはります。
店頭に原価スレスレの価格でオトリ商品を出し客寄せし、奥の商品は小売屋でも付けないような法外な値を付けて「問屋ですから半額です」と、それでも小売屋より高い値段で売る、御存じの○中さんや、○進さん、。
商売ですから、色んなやり方があってしかるべきで、それはいいでしょう。
でも、若いホストの兄ちゃんのような従業員二人、ユカタ姿なのは良いけれど、グサグサの着崩れに帯もちゃんと結べてない上に、マネキンのオバチャンと店頭で大きな声で雑談してた。
呉服屋を名乗るなら、帯は結べて当たり前。
買いたいと思わせる着こなしをするのも当然。
店頭で雑談をしてはいけないのはあきんどとしての基本中の基本。
お客さんへの尊敬も、キモノへの愛情もない。
同業者として恥ずかしい、商売以前の問題、やめて欲しい。
人のフリ見てわがフリ直せ。リサーチはやっぱり勉強になります。

  


大阪ぎらい
2005/06/10

 東京生活10年。
僕の事を良く知ってくれたはる方は、嘘!って云わはるかも知れませんが、東京大好きです。
結構水が合っているようで、今でもたまに遊びに行きますが以前は月に2回は行ってて、ホッとするやら楽しいやら・・・。

大阪へ帰って来て、生まれたのは帝塚山で店は粉浜商店街、小学校は地元へ通ったけれども、商店街とは校区が違いました。
中学高校と私立の中高一貫校へ入り、地元の友達とも疎遠に、大学は東京と、おおよそ商店街、商店街の同い年の人らとは縁のないまま、帰阪。
今は毎日当たり前のように過ごしていても、周りは知らない人だらけ、向こうは御存じでもこっちは存じ上げないような事は当たり前で、随分心細い思いもしました。
だから東京へ行っていました。
東京へ行けばみんないたから。

跡を継いで四年。
今はすっかり溶け込み、居心地の良い下町粉浜です。
そして少しずつながら増えていった個人的な御縁と、粉浜で50年の店の御縁が重なって、例えばこの前の雑記に書いた、三味線のお師匠はんのご友人の踊りの宗家や、鳴り物の師匠がウチをご贔屓にしてくれている事がわかったり、紹介して頂いた噺家さんが、実は良く知っていた方だったりと、縁と縁とが繋がって大きな縁になるような、そんな楽しい事も増えてきました。

大阪は大都会やけれど、ぐるっと見渡せば結局みんな繋がってるみたいなノリや、縁は必ずどこかで繋がるような濃厚さが、一時、鬱陶しいと思った事もありましたが、今は大好きです。
大阪バンザイ!

  


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